日本歴史地名大系 「坂村」の解説
坂村
さかむら
広島湾東岸に位置するが平地は少なく、集落は、北流して
文安二年(一四四五)東隣の
坂村
さかむら
坂村
さかむら
坂村
おうさかむら
- 大阪府:四條畷市
- 坂村
江戸時代には
坂村
さかむら
坂村
あいさかむら
山陽道に沿って広がる農村。北東は
近世後半まで当村は舟木村に含まれ、「地下上申」には舟木村の小村として逢坂の名がみえ、地名由来を「往古近衛院之御宇、源三位頼政息女二条院讃岐和歌の御志の由ニて諸国御廻り之御時乳人尋来、此所ニて逢奉候故逢坂村と申来候」と記す。
「注進案」に独立村として記され、総田畠数一四〇町余で総石高一千七一五石余、このうち一四八石が厚狭毛利氏の給領地で残りは蔵入地である。
坂村
おうさかむら
坂村
さかむら
坂村
さかむら
坂村
さかむら
坂村
さかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報