日本歴史地名大系 「狩立」の解説 狩立かりだて 長崎県:南松浦郡富江町富江村狩立[現在地名]富江町狩立郷富江市街の南西に位置する。天正二年(一五七四)実賢を開山として真言宗の集月(しゆうげつ)寺が創建され、本山(もとやま)村明星(みようじよう)院(現福江市)末であった(五島編年史)。富江五島領の牧場が設営され、狩が行われたという。江戸時代は草分の一三家にちなんで十三戸ともいわれ、十三戸井戸の名が残る。また地下(じげ)ともいい、五島氏が百姓屋敷四畝を与えたため四畝屋敷(よんせやしき)の通称名がある。勧農方役所が置かれた地に勧農(かんのう)の地名があり、牢屋跡が残る。宝塔(ほうとう)山・只狩(ただかり)山・館(やかた)に元禄一六年(一七〇三)建立の大蔵経一字一石経塚がある。元禄年間に浄土宗の実相(じつそう)寺を再興。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by