念仏踊(読み)ねんぶつおどり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「念仏踊」の意味・わかりやすい解説

念仏踊
ねんぶつおどり

念仏和讃(わさん)を唱えながら、鉦(かね)、太鼓、瓢(ふくべ)などをたたいて踊る民俗芸能。踊念仏ともいう。平安時代に空也(くうや)が始めたという。空也は諸国を遍歴して民衆に念仏を広め、市聖(いちのひじり)とも阿弥陀(あみだ)聖とも崇敬されたが、京の市(いち)や四条の辻(つじ)で踊念仏を始めたと伝えられる。はたして空也の念仏に踊りが伴っていたかどうかは明らかではないが、鎌倉時代になって一遍(いっぺん)が出て、諸国遊行(ゆぎょう)し踊念仏を広めた。『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』(1299)には当時の踊念仏のさまが描かれているが、それは勇躍歓喜しつつ乱舞形式で踊ったもののようである。このように踊念仏にはとくに定まった型がなかったので、のちには他の芸能と結び付いたり風流(ふりゅう)化したりして娯楽的色彩を強めるに至り、全国各地でさまざまな特色をもって行われるようになった。

 今日全国に伝わる念仏踊は数多く、大念仏(だいねんぶつ)、天道(てんどう)念仏、天念仏、空也念仏、泡斎(ほうさい)念仏、六斎(ろくさい)念仏などの名称のようにその内容も多彩である。大念仏は本来大ぜい集まって念仏を唱える行事をいい、京都嵯峨(さが)や壬生(みぶ)の大念仏は有名であるが、静岡県浜松市一帯の大念仏は新盆(にいぼん)の回向(えこう)や寺院施餓鬼(せがき)を行う供養の念仏であり、山梨県上野原市秋山無生野(むしょうの)の大念仏は祈祷(きとう)的要素の強い念仏である。天道念仏は太陽を拝み五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る踊り。栃木県の天念仏はやはり五穀豊穣を祈願し、行人(ぎょうにん)が天棚(あまだな)の周りを行道(ぎょうどう)する。福島県の空也念仏は空也上人の命日といわれる9月11日にその墓前で踊られる。泡斎念仏は常陸(ひたち)の僧泡斎が勧進(かんじん)のため踊り出したといわれる。京都に多い六斎念仏には種々の芸能が加わって行われている。このほかにも念仏踊には、夜念仏、じゃんがら念仏、念仏剣舞(けんばい)などがあるが、全国に広く行われている太鼓踊盆踊りなども念仏踊の影響を受けている。なお、近世初め出雲大社(いずもたいしゃ)の巫女(みこ)と伝えられる阿国(おくに)が、このころ民衆の間に行き渡っていた念仏踊に歌を交えて踊ったのが歌舞伎(かぶき)の創始となったのはよく知られている。

[高山 茂]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「念仏踊」の解説

念仏踊
ねんぶつおどり

念仏や和讃を唱えつつ鉦(かね)・太鼓をたたいて踊躍(ゆやく)すること。平安中期に空也(くうや)が京都市中を躍り歩いた踊念仏が本来の姿で,時宗の一遍(いっぺん)がこれを継承して広めた。田楽(でんがく)や白拍子舞との習合をへてすでに平安末期には風流(ふりゅう)化が進み,大衆娯楽としての基盤がうまれたという。先祖祭祀にともなう六斎(ろくさい)念仏・盆踊,農耕儀礼と密接な関係をもつ豊年踊・雨乞踊・カンコ踊,遊行(ゆぎょう)の勧進聖(ひじり)が行った放下(ほうか)踊・願人坊(がんにんぼう)踊などがあり,さまざまな芸能と混合して近世以降の多様な民俗芸能の母体となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「念仏踊」の意味・わかりやすい解説

念仏踊
ねんぶつおどり

念仏や和讃の唱文を称え,鉦,太鼓などで囃しながら踊る舞踊。盆や仏事に,死者の供養のために踊られたが,のちには,小歌を伴い風流 (ふりゅう) 化してさまざまの様式に展開したものを含めて全国的に分布している。大念仏,小念仏,天道念仏,じゃんがら念仏などのほか,六斎念仏,願人坊踊,放下 (ほうか) 踊,剣舞 (けんばい) などがそれで,歌舞伎踊を始めた出雲の阿国も,初めはこの念仏踊の一種を演じていたという。なお,念仏踊は民俗舞踊として踊念仏とは区別される。

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