富江町(読み)とみえちよう

日本歴史地名大系 「富江町」の解説

富江町
とみえちよう

面積:四九・四四平方キロ

五島列島の南部、福江ふくえ島の南東部に位置する。東は東シナ海に面し、北東は福江市、北は岐宿きしく町、北西は玉之浦たまのうら町に接する。とくに高い山嶺はなく、北西部に丘陵状の山地を形成、この間を丸子まるこ川・山手やまて川・田尾たお川などの流域面積の小さい河川が流れる。南東に張出した一帯は平坦地が続き、海岸部は長崎ながさき鼻・ムシマ鼻・笠山かさやま崎などがあり、北東に多郎たろう島・たけ島・島、東の沖にくろ(面積一・三二平方キロ)、西に津多羅つたら島などがある。東部に富江湾、南西に大宝だいほう浦がある。国道三八四号のほか、主要地方道の富江―岐宿線・福江―玉之浦線が通る。黒島は富江港と定期船で結ばれる。

縄文時代中期から後期にかけての宮下みやした貝塚では鹿・猪などの獣骨が大量に出土、また人骨が発見されている。また女亀めがめ遺跡では扁平片刃石斧などが出土しており、中国大陸とのかかわりがうかがえる。


富江町
とみえまち

[現在地名]平戸市新町しんまち

平戸城の南西、大吉だいきち町の北西にある。大吉町・富之とみの町とともに本町ほんちよう通六ヵ町の一つ新町に属する。築地の埋立以前はかがみ浦の右岸にあたり、町立ては寛文五年(一六六五)とされる(元禄一〇年町方年鑑次第、同一六年「役所手鑑」谷村家文書)。元禄一六年(一七〇三)の平戸城再築願用古城図(松浦史料博物館蔵)には潮入堀を境に外郭に並行して富江町がみえる。当町を土肥どい町と通称するのは土居から転じたもので、この堀の土手に由来する。


富江町
とみえちよう

[現在地名]熱田区富江町

神戸ごうど町の中ほどより東へ図書ずしよ(羽城橋)まで。町の長さは南側で一九三間半、北側で一三〇間半余。この町は宝永年中(一七〇四―一一)東脇ひがしわき村から分れたものという(徇行記)重左じゆうざいり柿屋かきやガ入・ふくろ町の小路があった(雑志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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