朝日日本歴史人物事典 「狩野永悳」の解説
狩野永悳
生年:文化11.12.15(1815.1.24)
幕末明治期の日本画家。江戸木挽町に,木挽町狩野家第6代狩野伊川院栄信の5男として生まれる。名は立信。狩野宗家の狩野祐清の養子となり,のち宗家中橋家第15代となった。嘉永1(1848)年幕府御用絵師,安政4(1857)年法眼となる。維新後,明治11(1878)年に来日し,日本美術の研究を始めたアーネスト・フェノロサに古画の研究と鑑定法を教授,狩野永探理信の名を与えるなど,日本における美術史学の形成にも間接的に寄与した。20年明治宮殿杉戸絵を揮毫し,22年臨時全国宝物取調局臨時鑑査掛,23年帝室技芸員となる。
(佐藤道信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報