猪野見城跡(読み)いのみじようあと

日本歴史地名大系 「猪野見城跡」の解説

猪野見城跡
いのみじようあと

[現在地名]国富町八代南俣

廻尾めぐりおにある中世の山城跡。たか城とも称した。築城の年代は不詳。建武三年(一三三六)二月七日の土持宣栄軍忠状(旧記雑録)によれば、土持宣栄の軍勢は一月二三日、日向国内の南朝方についた伊東祐広がいた八代やつしろの宿所を攻撃し、祐広が逃込んだ居城「猪埜見城」に押寄せた。同月二九日、当城の大手で合戦となり、二月一日に宣栄自身が額に、三日には子息の時栄が膝に傷を負った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む