獺沼
かわすぬま
北は坂間、東は茶屋新田、西は鳥喰、南は中田新田の大字に囲まれた面積一〇町ばかりの沼。大正一一年―昭和五年(一九二二―三〇)まで中田耕地整理組合によって干拓され、一面の美田となった。
獺が多く生息したほか食用のジュンサイもよく繁茂し、明和初期までは、これを採って売ることが農家の婦人の副業であったという。「古河志」は近世のありさまを次のように記す。
<資料は省略されています>
この風景を愛した古河藩主松平(藤井)信之・忠之父子が建てた「坂間の碑」がこの沼に面してある。台石三尺、碑の丈八尺ほどで、一碑に二文がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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