江戸中期の儒者。名は信篤(のぶあつ)、または戇(とう)。字(あざな)は直民。鳳岡、整宇(せいう)と号す。鵞峰(がほう)の次男。兄春信(1643―1666)が早世したので家を継ぐ。1690年(元禄3)忍ヶ岡(しのぶがおか)の林家の学問所、聖堂を湯島に移す。このとき将軍綱吉(つなよし)の命により蓄髪し、大学頭(だいがくのかみ)に任ず。儒者が僧形(そうぎょう)をやめて一般の武士と同列に交わるようになったのは、ここに始まる。以後、家宣(いえのぶ)、吉宗(よしむね)の代まで湯島を文教の府となして儒教を振興すべく努める。著書に『鳳岡学士集』などがある。
[玉懸博之 2016年6月20日]
1644.12.14~1732.6.1
江戸中期の儒学者。大学頭。鵞峰(がほう)の次男。名は又四郎・春常・信篤・戇(とう),字は直民。鳳岡・整宇と号す。正献は私諡。1680年(延宝8)林家を継ぎ,徳川家綱以後5代の将軍のもとで幕府の文書行政に参与。朝鮮通信使の応接にもかかわる。「武徳大成記」などの編纂に従事し,林家の官学的傾向を強めた。1691年(元禄4)湯島聖堂の竣工にあわせて大学頭に任じられ,儒官の剃髪も終焉した。「鳳岡林先生全集」がある。
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…〈はやしけ〉の音読による呼称で,江戸時代,林羅山を初代として幕府の教学に関与すること12代に及んだ家。1607年(慶長12)羅山が徳川家康に登用され,諸法度の起草,外交文書の起案など枢機に参与し,側近者的役割を果たし,秀忠,家光にも出仕し,その忍岡(しのぶがおか)の家塾は幕府の学問所的役割を担い,江戸の漢学興隆の基を開いた。次の鵞峯(がほう)も治部卿法印,弘文院学士としてその役割を継承し,3代の鳳岡(ほうこう)は蓄髪して大学頭に任ぜられ,将軍綱吉の学問振興策に際会し教学の中心となった。…
※「林鳳岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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