玉松一郎(読み)タママツ イチロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「玉松一郎」の解説

玉松 一郎
タママツ イチロウ


職業
漫才

本名
河内山 一二三

グループ名
コンビ名=ミスワカナ・玉松一郎

生年月日
明治39年 2月

出身地
大阪府

経歴
無声映画伴奏ドラマーをしていた昭和元年、ミス・ワカナと駆落ち同然の結婚をして大阪から九州に逃げる。3年2人でコンビを組み北九州一帯で、人気漫才師に。のち大阪に戻り、吉本興業に所属。ミス・ワカナのしゃべくりと歌に、アコーディオンを伴奏し、一言二言相づちを打つという女性上位の上方漫才で人気を得る。14年新興キネマ演芸部の設立と同時に引き抜かれ、コンビで映画にも出演。19年に離婚したが、21年ミス・ワカナが急死するまでコンビはそのまま続けられた。平成9年大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)の上方演芸の殿堂入りを果たす。同年、昭和21年2月〜8月に書かれた地方公演の旅日記「旅のつれづれ」が晩年弟子・松森和夫により公表された。

受賞
上方芸能人顕彰(平11年度)〔平成12年〕

没年月日
昭和38年 5月30日 (1963年)

伝記
頑ばれイチロー ふわ こういちろう 著(発行元 大空出版 ’09発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「玉松一郎」の解説

玉松 一郎
タママツ イチロウ

昭和期の漫才師



生年
明治39(1906)年2月

没年
昭和38(1963)年5月30日

出身地
大阪府

本名
河内山 一二三

別名
コンビ名=ミスワカナ・玉松一郎

主な受賞名〔年〕
上方芸能人顕彰(平11年度)〔平成12年〕

経歴
無声映画の伴奏のドラマーをしていた昭和元年、ミス・ワカナと駆落ち同然の結婚をして大阪から九州に逃げる。3年2人でコンビを組み北九州一帯で、人気漫才師に。のち大阪に戻り、吉本興業に所属。ミス・ワカナのしゃべくりと歌に、アコーディオンを伴奏し、一言二言相づちを打つという女性上位の上方漫才で人気を得る。14年新興キネマ演芸部の設立と同時に引き抜かれ、コンビで映画にも出演。19年に離婚したが、21年ミス・ワカナが急死するまでコンビはそのまま続けられた。平成9年大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)の上方演芸の殿堂入りを果たす。同年、昭和21年2月〜8月に書かれた地方公演の旅日記「旅のつれづれ」が晩年の弟子・松森和夫により公表された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉松一郎」の解説

玉松一郎 たままつ-いちろう

1906-1963 昭和時代の漫才師。
明治39年2月生まれ。無声映画の楽士をへて,妻のミス・ワカナとコンビをくみ,昭和3年デビュー。早口のワカナに一方的にまくしたてられる漫才は人気をあつめ,上方夫婦漫才の原型といわれる。昭和38年5月30日死去。57歳。大阪出身。本名は河内山一二三。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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