玉江庄(読み)たまえのしよう

日本歴史地名大系 「玉江庄」の解説

玉江庄
たまえのしよう

旧中島郡にあり、勧学院領のち殿下渡領。現在それに相当する地名は見当たらないが、尾西市辺りかと思われる。「権記」の長徳元年(九九五)一〇月二四日の条に「勧学院所領尾張国玉江庄司被殺害日記」とみえる。犯人は中宮侍長平季満で、翌日検非違使が京の彼の宅へ捜検に行った際にはすでに逃亡しており、刀禰に彼の家宅守護を命じて帰参し、尾張国に追捕を命ずる太政官符が給せられることになった。

嘉元三年(一三〇五)頃のものと思われる摂渡庄目録(九条家文書)に、氏院領として、

<資料は省略されています>

とみえる。また、暦応五年(一三四二)正月の摂渡庄目録(同文書)にも、同様な記載がみられるが、預所は橘以範となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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