日本歴史地名大系 「玉瀬村」の解説 玉瀬村たまぜむら 兵庫県:宝塚市玉瀬村[現在地名]宝塚市玉瀬(たませ)北畑(きたはた)村の西に位置する。武庫(むこ)川を挟んで南側は有馬(ありま)郡生瀬(なまぜ)村(現西宮市)、西は同郡生野(いくの)村(現神戸市北区)。古くは「たまぜ」と濁ってよばれた(明治一六年「地誌取調書」宝塚市役所蔵)。中世は多田(ただ)庄内の一村。応安元年(一三六八)四月八日の多田院(現川西市)の金堂供養棟別銭注文(多田神社文書)に「玉瀬・大原野両村」とみえ、北の大原野(おおはらの)村の百姓らとともに棟別銭の徴収を拒否して逃散している。永和元年(一三七五)には当村の三一家が同院法花堂・常行堂・地蔵堂造営のために一家当り一〇文弱の棟別銭を負担している(七月二五日「諸堂造営料棟別銭郷村注文」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報