玉置庄(読み)たまきのしよう

日本歴史地名大系 「玉置庄」の解説

玉置庄
たまきのしよう

現上中町玉置を中心に武生むしう兼田かねだ日笠ひかさ神谷こうだにを含んだ地域にあった近江園城おんじよう(三井寺)領。「吾妻鏡」元暦元年(一一八四)一二月一日条に「武衛召園城寺使者、賜御下文二通、所付両村於一寺伽藍也、其状云」として同年一一月二八日付の「若狭国玉置領」の三井寺への寄進状を載せ、さらに

<資料は省略されています>

とあり、この時源頼朝から園城寺に寄進されたことがわかる。文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写には「玉置郷六十三町七反七十六歩」(本田四六町二反四〇歩・新免一七町五反三六歩)とみえ、椙若保・岩松名とともに「薗城寺沙汰八十三町三反二百六十四歩」を構成している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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