福井県中部、武生盆地南部にあった市。1948年(昭和23)武生町と神山(かみやま)村が合併して市制施行。1950年武生市は吉野、国高(くにたか)、大虫(おおむし)の3村、1951年坂口村、1954年北日野(きたひの)、北新庄(きたしんじょう)、王子保(おうしほ)の3村、1956年味真野(あじまの)村、1959年白山(しらやま)村を編入。2005年(平成17)今立(いまだて)郡今立町と合併し越前市(えちぜんし)となる。旧中心市街地は日野(ひの)川のつくる扇状地に位置し、農村部にも大虫、味真野などの扇状地が多く、また村国、茶臼(ちゃうす)、岡本山などの沈降性山地が点在し、古墳が多い。JR北陸本線、福井鉄道福武線、北陸自動車道、国道8号、365号、417号が通じる。
大化改新後越前国の国府が置かれ、国分寺、総社なども創建され越前の中心となった。催馬楽(さいばら)にも「道の口、武生の国府(こふ)に……」とある。中世には府中(ふちゅう)とよばれ、越前守護所、府中奉行(ぶぎょう)所が置かれた。1575年(天正3)前田利家(としいえ)がこの地に入って府中城を拡張し、1613年(慶長18)以降は福井藩の家老本田富正4万石の居館となり、城下町がつくられて明治に至った。1869年(明治2)武生と改められた。産業としては絹・合繊などの繊維工業、電気機器、木工のほか鎌倉時代からの「越前打刃物」の伝統を継ぐ包丁類を製造。秋には武生中央公園で「たけふ菊人形」が催される。野大坪万歳(のおおつぼまんざい)は国の選択無形民俗文化財。城福寺の枯山水庭園は国指定名勝。
[木下昭三]
『『武生市史』全11冊(1964~1996・武生市)』
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…北陸街道の宿駅でもあり伝馬25匹。古代国府の所在地で催馬楽(さいばら)に〈武生(たけふ)の国府〉と見え,中世以来府中といい,1869年(明治2)古謡にちなんで武生と改称。1575年(天正3)府中三人衆の一人前田利家が居城。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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