日本歴史地名大系 「玉造紀伊国町」の解説 玉造紀伊国町たまつくりきのくにまち 大阪府:大阪市東区玉造紀伊国町[現在地名]東区法円坂(ほうえんざか)一丁目・上(うえ)町一丁目単に紀伊国町ともいう。上堺(うえさかい)町の東に延びる両側町で、南北は城代組屋敷に接する。町の東部の坂をほくち屋(や)坂(伊勢屋坂)といい、伊勢屋という火口屋があったための名称という(大阪府全志)。豊臣時代には浅野幸長邸があり、幸長が紀伊守であったところから町名が生じたといわれる。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に「きの国町」とみえる。町名について、宝暦三年(一七五三)以前の水帳奥書写(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)には玉造を付けず、安永七年(一七七八)水帳写(同上)以降はすべて玉造を冠する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報