日本歴史地名大系 「玉造要害山城跡」の解説 玉造要害山城跡たまつくりようがいざんじようあと 島根県:八束郡玉湯町玉造村玉造要害山城跡[現在地名]玉湯町玉造玉湯川の右岸、玉作湯(たまつくりゆ)神社背後の要害山にある。標高は約一〇八メートル。北麓には田中(たなか)川、西麓には玉湯川、南東には標高一五〇メートル前後の山が衝立のようになり、文字どおり要害の地であった。山陰道にも近く、出雲備後道が玉造の谷を通過し、忌部(いんべ)(現松江市)へ抜ける間道も北麓を通っており、交通の要衝でもあった。「忌部総社神宮寺根元録」に元亨二年(一三二二)の湯(ゆ)庄留守職諏訪部三郎扶重の乱に関連して玉造城の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報