珍北庄・珍南庄(読み)ちぬきたのしよう・ちぬみなみのしよう

日本歴史地名大系 「珍北庄・珍南庄」の解説

珍北庄・珍南庄
ちぬきたのしよう・ちぬみなみのしよう

大和法隆寺領庄園。所在地は明確でない。允恭天皇八年、天皇が皇后の妹である衣通姫のため造営した茅渟ちぬ宮が現在の泉佐野市上之郷中村かみのごうなかむらにあったとし、その近辺が珍庄になったとする説、垂仁天皇が五十瓊敷命を派遣して築造した茅渟池が泉佐野市内のぬの池やみちノ池であるとし、その辺りとする説などあるが、確証はない。「法隆寺別当次第」によると建長三年(一二五一)一二月五日、法隆寺別当覚遍の時、勝曼会料として珍南・珍北庄年貢一〇石が初めて寄進され、その後弘長元年(一二六一)一一月、同別当良盛の時に大和戒壇院中興の祖で法隆寺上宮王じようぐうおう院や和泉国大鳥郡の家原えばら(現堺市)に歴住した戒律宗僧円照によって、珍南・珍北庄が寄進されたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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