理智光寺跡(読み)りちこうじあと

日本歴史地名大系 「理智光寺跡」の解説

理智光寺跡
りちこうじあと

[現在地名]鎌倉市二階堂

護良親王墓の南西の谷、理智光寺りちこうじやつに所在した真言密教系の寺。理致・利知などとも当て字された。五峰山理智光寺と号し、開山は願行房憲静(永仁三年没)。「律苑僧宝伝」中の「泉涌寺宗燈律師伝」に、願行が「又於五峰山寺、曰理智光」とある。創建以後しばらくは理智光院と称していたらしく、「金沢文庫古文書」には「理智光院」、「北条九代記」には延慶三年(一三一〇)一一月六日の鎌倉大火の焼失所々に勝長寿しようちようじゆ院・法花ほつけ堂などとともに理智光院がみえ、「常楽記」には「正中三年四月、二階堂理智光院長老道舜房於京都他界」「嘉暦二年四月十七日、伊豆山妙静上人於理智光院入滅」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む