「鎌倉年代記」には文永元年(一二六四)八月二一日、北条長時が「於浄光明寺卒」とあり、法名を専阿観恵という。「吾妻鏡」文永二年五月三日条には「泉谷新造堂」で鶴岡別当隆弁によって長時の仏事を修したと記す。真阿は浄土教の諸行本願義に属する人で、永仁四年(一二九六)一月二三日の真阿譲状(県史二)にも善導大師の遺戒を慕いとか持戒念仏の寺、あるいは浄土宗解行二門兼備などとあるので、浄土教を中心としながらも兼学の色彩が濃い寺であったと思われる。この譲状には最明寺禅門(北条時頼)と長時が開基であることを記す。二世は真阿譲状や寺蔵の浄土宗諸行本願義流総系譜によれば真了となっているが、寺に残る歴代住持の位牌には「当山二世月航空和尚」とある。月航空和尚とは性仙道空のことで、真了と性仙が同一人であるかは不明。少なくとも位牌が造られた一五世紀後半には、寺では二世は性仙道空とされていた。性仙は浄土宗では九品寺流に属していたが、九品寺流総系譜の注によれば明恵の「摧邪輪」を支持して「選択集」を非難したとあり、竺仙梵僊も「海東之律龍」(来々禅子東渡譜)と性仙を評しているので、浄土一辺到ではなかった。兼学の傾向は三世智庵和上如仙高恵に至って四宗兼学を確立させる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神奈川県鎌倉市扇ヶ谷(おうぎがやつ)にある真言(しんごん)宗泉涌寺(せんにゅうじ)派に属する寺。泉谷山(せんこくさん)と号する。1251年(建長3)に北条長時(ながとき)が建立。開山は浄土宗の真阿(しんあ)。第3世智庵高恵(ちあんこうえ)のころには真言、天台、華厳(けごん)、律の四宗を兼学した。1333年(元弘3・正慶2)後醍醐(ごだいご)天皇の勅願所となり、足利尊氏(あしかがたかうじ)・直義(ただよし)兄弟も帰依(きえ)し、1399年(応永6)に足利満兼(みつかね)が祖父基氏(もとうじ)と父氏満(うじみつ)の分骨を当寺に納め、代々の鎌倉公方(くぼう)から寺領安堵(あんど)を受けて栄えた。江戸時代には徳川家康も寺領を寄せた。本尊の阿弥陀(あみだ)三尊像は鎌倉彫刻の代表的作例で、国重要文化財である。地蔵菩薩(ぼさつ)(県文化財)は足利直義の念持仏といわれ、通称矢拾(やひろい)地蔵とよばれている。裏山には石造五輪塔(国重要文化財)や、兄為氏(ためうじ)と和歌所のことで争い、母阿仏尼(あぶつに)とともに鎌倉に下向した鎌倉中期の歌人冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓(国史跡)がある。
[祖父江章子]
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