日本歴史地名大系 「瑞泉寺跡」の解説 瑞泉寺跡ずいせんじあと 富山県:富山市旧上新川郡地区林崎村瑞泉寺跡[現在地名]富山市林崎・森田跡地は森田(もりた)・林崎(はやしざき)両地区にまたがる田園の中にあり、現在の瑞泉寺は安養坊(あんようぼう)に所在。文安二年(一四四五)能登総持寺二世峨山韶碩の法弟通幻寂霊の系譜にある天叟祖寅が林崎に曹洞寺院瑞泉寺を創建し、越中守護代神保氏の外護を受けたという。瑞泉寺の実質的な開山は当寺二世として蜷川最勝(にながわさいしよう)寺を開山した亀阜豊寿で、豊寿は文亀元年(一五〇一)死去している(日本洞上聯灯録)。のち越後上杉氏の越中侵攻による兵火のため名目のみの小堂になっていたが、天保六年(一八三五)花崎(はなさき)村(現大山町)へ移転した。寺跡には同八年墓守寺として東福沢徳林(ひがしふくさわとくりん)寺(現同上)支院の法眼(ほうげん)庵を建立(法眼庵過去帳)、現在は森田地内の曹洞宗法眼寺となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by