瓦焼下之町(読み)かわらやきしものまち

日本歴史地名大系 「瓦焼下之町」の解説

瓦焼下之町
かわらやきしものまち

[現在地名]彦根市旭町あさひまち船町ふなまち

切通きりどおし町の南にある両側町。元禄八年大洞弁天寄進帳に町名がみえ、軒数八〇のうち借家四九、男一三六・女一四二(ほか下人一二)、諸職諸商は一二種二〇軒で、油屋茶売・肴売・豆腐屋・米屋など、町代は酒屋横目は木綿屋が勤め、尼四。安永七年(一七七八)の万留書(彦根市史)では町代・横目二軒ほかは年貢地四五軒。嘉永三年(一八五〇)の四手町組留書(同書)では家持二九・借家五五。地下水に恵まれなかったため、宝暦五年(一七五五)藩の許可を得て安養寺中あんようじなか町の湧水を約八〇〇メートルの竹管で引く水道を敷設し、町内では「人々渡世水」であるから常時きれいに保つこと、奉行の命もあり他所へは水分けしないことなどの定書が取交わされた(蒲山文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報