甕原庄
みかのはらのしよう
現加茂町の木津川北側、瓶原一帯を荘域とする。瓶原の地は奈良時代初期より離宮があり、またその縁によって恭仁京が造営され、天平一二年(七四〇)には遷都している。しかしこの都は四年ほどで廃される。
平安時代に入ると奈良東大寺の所領とされたらしく、天暦四年(九五〇)の東大寺封戸荘園并寺用帳(東南院文書)に「山背国相楽郡畠八町、泉庄四町、甕原四町 六段造寺所」とある。東大寺領甕原庄との関係は不明だが近衛家領もあり建長五年(一二五三)一〇月二一日付の近衛家所領目録(近衛家文書)に「篤子中宮領内六条殿母儀二位領」として「山城国
原庄西林寺領」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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