改訂新版 世界大百科事典 「甕原」の意味・わかりやすい解説
甕原 (みかのはら)
京都府木津川市の旧加茂町北部の地名。〈𤭖原〉〈三日原〉〈三香原〉とも記す。古代において,奈良から伊賀,近江信楽(しがらき)へ向かう要路であった。713年(和銅6)6月23日に元明天皇が甕原離宮に行幸したことが,六国史における初見史料である。この地域に,聖武天皇による恭仁京(くにきよう)や山城の国分寺,国分尼寺が造営された。京都府教育委員会,加茂町等により発掘が進められ,その全貌が明らかになりつつある。平安時代以降,離宮,寺なども廃され,一帯が甕原荘として荘園化された。東大寺東南院文書や近衛家文書に〈𤭖原庄〉とみえている。鎌倉時代には近衛家から,春日大社の供御料として寄進されたこともあった。江戸時代には津藩藤堂家の知行地や禁裏御料地が混在していた。また歌枕としても知られ,《新古今和歌集》には藤原兼輔の〈みかの原わきて流るゝ泉川いつみきとてか恋しかるらん〉が採られている。
執筆者:藤本 孝一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報