日本歴史地名大系 「甘地村」の解説 甘地村あまじむら 兵庫県:神崎郡市川町甘地村[現在地名]市川町甘地坂戸(さかど)村の北、奥(おく)村の東に位置し、市川の右岸に立地する。市川支流の振古(ふりこ)川が当村で市川に合流する。神西(じんさい)郡に属し、東は市川を隔てて神東(じんとう)郡西川辺(にしかわなべ)村。中世には甘地郷とよばれた。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代を通じて姫路藩領。正保郷帳では田方四八二石余・畑方八三石余、「芝山有」と注記される。天保郷帳では高七一三石余。宝暦一三年(一七六三)の市川筋高瀬舟通行につき願書(三木家文書)によれば、当村甚左衛門は高瀬舟を二艘所持し、浅野(あさの)村から飾万(しかま)津(現姫路市)まで運行していた。享和二年(一八〇二)五月八日、当村付近を訪れた菱屋平七は「あまぢ、人家五丁計リの間に百軒計リ、終りに茶屋あり」(「菱屋平七長崎紀行」京都大学文学部蔵)と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報