高瀬舟(読み)タカセブネ

デジタル大辞泉 「高瀬舟」の意味・読み・例文・類語

たかせぶね【高瀬舟】[書名]

森鴎外小説。大正5年(1916)発表。弟殺しの罪により、高瀬舟島流しになる喜助の、知足境地安楽死問題を描く。

たかせ‐ぶね【高瀬舟】

川船の一。古代から中世にかけては小形で底が深く、近世になって大形で底が平たく浅くなった。
[補説]書名別項。→高瀬舟

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精選版 日本国語大辞典 「高瀬舟」の意味・読み・例文・類語

たかせ‐ぶね【高瀬舟・高瀬船】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 上代から中世にかけて、河川を主にして使われた吃水の浅い小船。遊船、渡船、荷物輸送などに重用され、湖沼、海辺でも使用した。
      1. [初出の実例]「令下二近江丹波両国。各造高瀬舟三艘」(出典:日本三代実録‐元慶八年(884)九月一六日)
      2. 「たかせ舟しぶくばかりに紅葉葉のながれてくだる大井川かな〈藤原家経〉」(出典:新古今和歌集(1205)冬六・五五六)
    2. 近世以後、川船の代表として各地の河川で貨客の輸送に従事した船。小は十石積級から大は二、三百石積に至るまであり、就航河川の状況に応じた船型、構造をもつが、吃水の浅い細長い船型という点は共通する。京・伏見間の高瀬川就航のものは箱造りの十五石積で小型を代表し、利根川水系の二百石積前後のものはきわめて長大で平田舟(ひらだぶね)に類似し、大型を代表する。
      1. 高瀬舟<b>[ 一 ]</b><b>②</b>〈上 京都高瀬川 下 利根川〉
        高瀬舟[ 一 ]〈上 京都高瀬川 下 利根川〉
      2. [初出の実例]「浮気ならねど身は高瀬舟、こがれこがれて」(出典:歌謡・松の葉(1703)三・高瀬舟)
  2. [ 2 ] ( 高瀬舟 ) 小説。森鴎外作。大正五年(一九一六)発表。病弟の自殺の手助けをし、遠島の刑に処せられる喜助が、高瀬川を下る舟の中で語る身の上話を主とする。「知足」の境地と安楽死の問題を扱う。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高瀬舟」の意味・わかりやすい解説

高瀬舟(川舟)
たかせぶね

川舟の一種で、この船名は『日本三代実録』(901)に「令近江(おうみ)丹波(たんば)両国、各造高瀬舟三艘(そう)(近江・丹波の両国をして各高瀬舟三艘を造らしむ)、其二艘長三丈一尺広五尺、二艘長二丈一尺広五尺、二艘長二丈広三尺、送神泉苑(神泉苑(しんせんえん)に送る)」とあり、以来、諸種の文献にみられる。当時のこの船の構造は明らかではないが、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931~938ころ)にある「艇小而深者曰舼(たかせ)」(艇(てい)の小にして深きは舼という)という表現は、刳船(くりぶね)に比べ舷側(げんそく)が深いことをいったもののようである。『和漢船用集』(1761)に記載されたものや近年まで使われた高瀬舟は、船首、船尾が高くあがり、喫水線が浅い船底の広い箱型の舟であった。ただし、構造や大きさは時代や河川状況によって差異もある。

 東北の北上川から四国の四万十(しまんと)川までの間の多くの河川で使われ、利根(とね)川には長さが約27メートルという大型の高瀬舟があった。おもに物資輸送船として河川を上下し、鉄道が敷かれるまでは重要な役割を担っていたが、京都の高瀬川のように、旅客輸送に用いる所もあった。河川の溯上(そじょう)には帆を利用するか、綱で引いた。

[小川直之]


高瀬舟(森鴎外の小説)
たかせぶね

森鴎外(おうがい)の短編小説。1916年(大正5)1月『中央公論』に発表。弟殺しの罪に問われた喜助(きすけ)は、遠島の途次、高瀬舟の中で、同心羽田庄兵衛(はねだしょうべえ)に問われるままに、罪を犯した事情を打ち明ける。彼は、自殺を図って苦しんでいる弟ののどの剃刀(かみそり)を抜いてやり、その結果弟を死に至らしめたことによって、罪を得たのである。庄兵衛は、喜助がいまの運命をいささかも恨まず、むしろ嬉々(きき)としていることに、深く感動する。欲望に使役されない安心立命の境地に対する鴎外の羨望(せんぼう)の情のにじみ出た、歴史小説の傑作である。

磯貝英夫

『『山椒大夫・高瀬舟他四編』(岩波文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「高瀬舟」の意味・わかりやすい解説

高瀬舟 (たかせぶね)

古代以来,河川を主にして使われた喫水の浅い平底の小船で,湖沼や海辺でも用いられた。おもに渡船,輸送船であったが,平安貴族の間では,遊び船としても盛んに用いられた。高瀬舟と類似したものに平駄(ひらた)舟があり,両者の区別は必ずしも明らかでないが,平安後期の12世紀前期に北九州遠賀(おんが)川で,上流荘園の年貢米を運んでいた平駄舟の積載量は14石前後であった。鎌倉時代,中国地方の高梁(たかはし)川を上下して,東寺領備中(岡山県)新見(にいみ)荘その他の年貢米を運んだ高瀬舟はせいぜい5石積み程度であった。近世以後,高瀬舟は川船の代表として,各地の河川に見られるようになり,大きさも小は10石積みから,大は200~300石積みに至るまでさまざまで,就航河川の状況に応じて,船型・構造を異にした。京~伏見間の高瀬川のものは,箱造りの15石積みで,小型を代表し,利根川水系の200石前後のものは,きわめて長大で大型高瀬舟を代表するものであった。
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百科事典マイペディア 「高瀬舟」の意味・わかりやすい解説

高瀬舟(交通)【たかせぶね】

川船の一種。古くは急流を乗り切るため喫水が浅く,船べりの高い,すなわち高背の小舟をいったが,室町時代以後は高瀬(浅瀬)も通れるよう平底とした,主として荷物用の大型船をさすようになった。
→関連項目大堰川落合[町]高瀬舟(文学)建部[町]成羽[町]船岡[町]用瀬[町]

高瀬舟(文学)【たかせぶね】

森鴎外の短編小説。1916年《中央公論》に発表。高瀬舟で護送される弟殺しの罪人喜助の身の上話と,それを聞く護送役人を描き,財産観念の違いや安楽死の問題を扱っている。《翁(おきな)草》から取材,鴎外の歴史小説中の傑作の一つとされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高瀬舟」の意味・わかりやすい解説

高瀬舟
たかせぶね

川船の一種。古くは小型で底が深かった (高背) が,のちには大型で舳が高く底の浅いものになった。近世では利根川,大井川,保津川,富士川など多くの川筋で貨物輸送に用いられた。角倉了以 (すみのくらりょうい) が開いた京-伏見間の高瀬川は,この川船を航行させるために掘ったことによって名づけられた。

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とっさの日本語便利帳 「高瀬舟」の解説

『高瀬舟』

森鴎外
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。\(一九一六)

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デジタル大辞泉プラス 「高瀬舟」の解説

高瀬舟

日本のポピュラー音楽。歌と作曲は男性演歌歌手、五木ひろし。2006年発売。作詞:水木れいじ。

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世界大百科事典(旧版)内の高瀬舟の言及

【遠島】より

…全国に散在する幕府の奉行,代官の役所を近江を境に東西に分け,美濃以東の役所で判決した罪人は江戸小伝馬町牢屋に,近江以西の場合は大坂の牢屋に集めたが,長崎奉行だけは直接島に送った。京都から大坂に流人を移すのに高瀬舟が使われたのは名高い。江戸からは春秋2回出船し,大島,八丈島,三宅島,新島,神津島,御蔵島,利島の伊豆七島に,大坂からは年に1回出帆し,薩摩および五島の諸島,隠岐,壱岐,天草島に流した。…

※「高瀬舟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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