川舟の一種で、この船名は『日本三代実録』(901)に「令近江(おうみ)丹波(たんば)両国、各造高瀬舟三艘(そう)(近江・丹波の両国をして各高瀬舟三艘を造らしむ)、其二艘長三丈一尺広五尺、二艘長二丈一尺広五尺、二艘長二丈広三尺、送神泉苑(神泉苑(しんせんえん)に送る)」とあり、以来、諸種の文献にみられる。当時のこの船の構造は明らかではないが、『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(931~938ころ)にある「艇小而深者曰舼(たかせ)」(艇(てい)の小にして深きは舼という)という表現は、刳船(くりぶね)に比べ舷側(げんそく)が深いことをいったもののようである。『和漢船用集』(1761)に記載されたものや近年まで使われた高瀬舟は、船首、船尾が高くあがり、喫水線が浅い船底の広い箱型の舟であった。ただし、構造や大きさは時代や河川状況によって差異もある。
東北の北上川から四国の四万十(しまんと)川までの間の多くの河川で使われ、利根(とね)川には長さが約27メートルという大型の高瀬舟があった。おもに物資輸送船として河川を上下し、鉄道が敷かれるまでは重要な役割を担っていたが、京都の高瀬川のように、旅客輸送に用いる所もあった。河川の溯上(そじょう)には帆を利用するか、綱で引いた。
[小川直之]
森鴎外(おうがい)の短編小説。1916年(大正5)1月『中央公論』に発表。弟殺しの罪に問われた喜助(きすけ)は、遠島の途次、高瀬舟の中で、同心羽田庄兵衛(はねだしょうべえ)に問われるままに、罪を犯した事情を打ち明ける。彼は、自殺を図って苦しんでいる弟ののどの剃刀(かみそり)を抜いてやり、その結果弟を死に至らしめたことによって、罪を得たのである。庄兵衛は、喜助がいまの運命をいささかも恨まず、むしろ嬉々(きき)としていることに、深く感動する。欲望に使役されない安心立命の境地に対する鴎外の羨望(せんぼう)の情のにじみ出た、歴史小説の傑作である。
[磯貝英夫]
『『山椒大夫・高瀬舟他四編』(岩波文庫)』
古代以来,河川を主にして使われた喫水の浅い平底の小船で,湖沼や海辺でも用いられた。おもに渡船,輸送船であったが,平安貴族の間では,遊び船としても盛んに用いられた。高瀬舟と類似したものに平駄(ひらた)舟があり,両者の区別は必ずしも明らかでないが,平安後期の12世紀前期に北九州遠賀(おんが)川で,上流荘園の年貢米を運んでいた平駄舟の積載量は14石前後であった。鎌倉時代,中国地方の高梁(たかはし)川を上下して,東寺領備中(岡山県)新見(にいみ)荘その他の年貢米を運んだ高瀬舟はせいぜい5石積み程度であった。近世以後,高瀬舟は川船の代表として,各地の河川に見られるようになり,大きさも小は10石積みから,大は200~300石積みに至るまでさまざまで,就航河川の状況に応じて,船型・構造を異にした。京~伏見間の高瀬川のものは,箱造りの15石積みで,小型を代表し,利根川水系の200石前後のものは,きわめて長大で大型高瀬舟を代表するものであった。
執筆者:新城 常三
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…全国に散在する幕府の奉行,代官の役所を近江を境に東西に分け,美濃以東の役所で判決した罪人は江戸小伝馬町牢屋に,近江以西の場合は大坂の牢屋に集めたが,長崎奉行だけは直接島に送った。京都から大坂に流人を移すのに高瀬舟が使われたのは名高い。江戸からは春秋2回出船し,大島,八丈島,三宅島,新島,神津島,御蔵島,利島の伊豆七島に,大坂からは年に1回出帆し,薩摩および五島の諸島,隠岐,壱岐,天草島に流した。…
※「高瀬舟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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