甘州ウイグル(読み)かんしゅうウイグル(その他表記)Gan-zhou Uyghur; Kan-chou Uyghur

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「甘州ウイグル」の意味・わかりやすい解説

甘州ウイグル
かんしゅうウイグル
Gan-zhou Uyghur; Kan-chou Uyghur

9世紀なかば,モンゴル高原の遊牧ウイグル国が瓦解した際,四散したウイグル族のうち,河西方面へ移動してヤグラカル氏系のカガン (可汗)を立てていた一派。河西ウイグルともいう。初めはチベット (吐蕃) の支配下にあったが,沙州を中心とする張議潮の帰義軍独立政権時代になって甘州,粛州を占拠して勢力を安定させた。多くの異民族を含み,都市生活,牧畜農耕を行なっていたが,その地理的な条件を生かして五代から宋にかけて西方との東西中継交易に活躍した。しかしタングート (党項)の攻撃を受けて,1026年甘州は陥落し命脈を絶った。その後は少数民族のサリク (黄頭) ウイグルとして,現在まで古形ウイグル語を保有しつつ残存している。

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