生口庄(読み)いくちのしよう

日本歴史地名大系 「生口庄」の解説

生口庄
いくちのしよう

生口島を荘域とする皇室領荘園。成立事情は明らかでないが、建久二年(一一九一)一〇月日付の長講堂所領注文(島田文書)

<資料は省略されています>

とみえる。また宣陽門院所領目録(島田文書)にも「安芸国生口北庄」が含まれており、後白河院建立の京都長講堂領であったことが知られる。なお「経俊卿記」正嘉元年(一二五七)五月一〇日条には「法花堂領安芸国生口島庄事」とみえ、この法花堂は長講堂のことと思われる。当時生口庄に関する訴訟問題が発生していたらしく同記五月一六日条には「参院奏条々事」として「高輔申、生口庄事、仰、可進座主申状於宮、先可止当時之濫妨之由可仰」という記事がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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