生津城跡(読み)なまづじようあと

日本歴史地名大系 「生津城跡」の解説

生津城跡
なまづじようあと

[現在地名]三潴町生岩

城田しろだに所在した戦国期の平城。「筑後将士軍談」の生津村城跡によると、城の規模は本丸東西七三間・南北六二間、西堀口の広さ三間、中ノ堀口の広さ二間で、築城は天正七年(一五七九)とされる。西牟田家周が西牟田にしむた城の守りが堅くないという理由で、新たに当城を築き転住したが、同一一年に落城したという。明治六年(一八七三)の調査では堀を五重に巡らし、五重目の堀の内側には土居があり、それを築地と称していたことなどが報告されているが(三潴町史)、現在は堀の一部が残るのみ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android