日本歴史地名大系 「生田原村」の解説 生田原村いくたはらむら 北海道:網走支庁生田原町生田原村[現在地名]紋別郡生田原町字生田原・字旭野(あさひの)・字伊吹(いぶき)・字岩戸(いわと)・字清里(きよさと)・字豊原(とよはら)・字水穂(みずほ)・字八重(やえ)・字安国(やすくに)大正一四年(一九二五)から昭和二九年(一九五四)まで存続した自治体。大正一四年一月紋別郡遠軽(えんがる)村(現遠軽町)から分離し、二級町村制を施行して成立。同年の戸口は八七七戸・四千七六七人(生田原町史)。分村に至るには、大正九年上川村(現上川町)―遠軽村間の国鉄石北東(せきほくとう)線(現JR石北本線)起工が決定すると、湧別(ゆうべつ)線の駅がある遠軽と下生田原(現安国)が猛烈な分岐点争奪運動を展開し、敗れた生田原側が「鉄道の効率を無視し、一政党の策略により遠軽に決まった」と憤慨したという経緯がある(生田原村史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by