日本大百科全書(ニッポニカ) 「生田原」の意味・わかりやすい解説
生田原
いくたはら
北海道北東部、網走(あばしり)支庁(現、オホーツク総合振興局)管内にあった旧町名(生田原町(ちょう))。現在は紋別(もんべつ)郡遠軽(えんがる)町の南東部を占める地域。旧生田原町は1925年(大正14)遠軽村(現、遠軽町)から分村し、1954年(昭和29)町制施行。2005年(平成17)遠軽町に合併。北見山地にあり、北流する湧別(ゆうべつ)川支流生田原川の河谷に沿ってJR石北本線と国道242号が通じる。1892年(明治25)旭川(あさひかわ)と網走間を結ぶ中央道路が生田原川沿いに開かれ、1901年(明治34)新潟県人の団体入植以後本格的開拓が進んだ。総面積の約80%を森林面積が占め、国有林の比重が高く、林産の町で、林業副産物のキノコ生産も盛ん。農業では酪農を主とするが肉用牛も導入され、畑作物ではサトウダイコン、ジャガイモ、アスパラガスなどの作付けがある。1918~1943年に北ノ王、大宝などの金銀鉱山が操業したことがある。
[岡本次郎]