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昭和恐慌 しょうわきょうこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

昭和恐慌
しょうわきょうこう

1927年の金融恐慌に始り,29年の世界恐慌により深刻化し,30~31年にピークに達した昭和初期の一連の恐慌をいう。第1次世界大戦中に急激に拡大した日本経済は,戦後の反動恐慌 (1920) ,震災恐慌 (23) などの打撃を受け,インフレーション的救済措置によりかろうじて破綻を免れ昭和に入った。しかし 27年には,関東大震災後に乱発された震災手形の処理問題に関連し企業の資産内容がきわめて悪化していること,特に台湾銀行鈴木商店に対し3億 5000万円もの不良貸出しをしていることが明るみに出たため,銀行経営に対する不安が急速に広がり,金融機関の取付け,休業が続出した。金融界のパニック状態は3~4月の2ヵ月続いたが,4月末のモラトリアム (支払猶予) と日本銀行による特別救済融資の実施により5月にはようやく沈静化した。これが昭和金融恐慌である。 29年に成立した浜口内閣 (井上蔵相) は金本位制度,しかも旧平価による金本位制に復帰するため極端なデフレーション政策を実施し,30年1月から金解禁を実施した。しかし前年に勃発した世界恐慌が日本にも波及し,金解禁によるデフレーション政策と重なって日本経済は深刻な不況に見舞われ,銀行や企業の休業や倒産が続出し,失業が急激に増大した。デフレーション政策と世界恐慌の波及による恐慌状態を背景に軍部が次第に台頭し,31年9月に日中戦争が勃発し,さらに 12月には金本位制の維持が不可能となったため犬養内閣 (高橋蔵相) により金輸出再禁止が行われ金本位制を廃止した。 32年には恐慌を脱出したが,それ以降日本経済は次第に戦時経済体制に移行していった。

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デジタル大辞泉の解説

しょうわ‐きょうこう〔セウワキヨウクワウ〕【昭和恐慌】

昭和5年(1930)から翌年にかけて日本で起こった恐慌。前年、ニューヨークウォール街に始まったパニックがたちまち波及し、日本経済は危機的状態に陥った。

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百科事典マイペディアの解説

昭和恐慌【しょうわきょうこう】

1927年の金融恐慌と1930年以降の恐慌の総称。後者のみをさす場合も多い。前者は第1次世界大戦での異常な経済的膨張に加え,戦後恐慌,関東大震災の打撃を救済インフレ政策でおさえてきた矛盾が,震災手形処理問題を契機に爆発したもので,全国銀行の休業,モラトリアム,日銀非常貸出しで同年5月鎮静した。
→関連項目井上財政産業組合重要産業統制法高橋財政日本

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世界大百科事典 第2版の解説

しょうわきょうこう【昭和恐慌】

1930年代の日本の恐慌。1929年アメリカの株式恐慌からはじまった世界大恐慌一環をなす。
[原因と経過]
 1929年10月,ニューヨークのウォール街に端を発したアメリカの恐慌は,前後約4ヵ年余にわたる世界恐慌(大恐慌)にまで発展した。〈繁栄の1920年代〉を謳歌しつづけてきたアメリカ経済が,20年代最後の年に一転して最悪の経済不況に追い込まれたのはなぜか。第1は,20年代のアメリカ経済の発展を主導してきた自動車電機,住宅建設などの産業が27年ころから過剰生産に陥り,生産能力を低下させたためである。

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大辞林 第三版の解説

しょうわきょうこう【昭和恐慌】

1930年(昭和5)から翌年にかけて起きた日本の恐慌。前年に始まる世界大恐慌の一部をなす。農村の疲弊をもたらし、戦争への道を準備することになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

昭和恐慌
しょうわきょうこう

いわゆる金解禁を契機に、1929年(昭和4)以降の世界大恐慌と重なって、30年から翌年にかけて日本経済を危機的状態に陥れた、第二次世界大戦前におけるもっとも深刻な恐慌。
 第一次世界大戦最中の1917年(大正6)9月、日本はアメリカに続いて金輸出禁止(事実上の金本位制停止)を行った。アメリカは戦後の19年早くも金輸出を解禁し、金本位制に復帰した。しかし日本は、19年末には内地・外地あわせて正貨準備も20億4500万円に上り、国際収支も受け取り超過であったにもかかわらず、金解禁を行わなかった。1920年代には世界の主要国は次々と金本位制に復帰し、金為替(かわせ)本位制を大幅に取り入れた国際金本位制の網目(ネットワーク)が再建され、アメリカの好況と対外投資をてことして世界経済は「相対的安定期」を享受した。日本政府もこの潮流に応じて幾度か金解禁を実施しようとした。しかし20年(大正9)の戦後恐慌、22年の銀行恐慌、23年の関東大震災、さらにはそれまでたび重なった財界救済のための特別融資の整理強行を契機におこった27年(昭和2)の金融恐慌など、相次ぐ経済危機にみまわれて、踏み切ることができなかった。28年6月にはフランスも新平価(5分の1切下げ)による金輸出解禁を行ったので、主要国では日本のみが残された。同年には日本の復帰思惑も絡んで円の為替相場は激しく変動し、為替安定(金解禁による旧平価での為替レートの固定)の要求は、輸出・輸入業者の別なく、財界全体の要求となって高まった。
 1929年7月、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(同年6月4日)の処理をめぐり田中義一(ぎいち)政友会内閣が瓦解(がかい)し、かねてから金解禁即行を迫っていた浜口雄幸(おさち)民政党内閣が成立、井上準之助(じゅんのすけ)大蔵大臣、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外務大臣の布陣で、「金解禁・財政緊縮・非募債と減債」と「対支外交刷新・軍縮促進・米英協調外交」を掲げて政策転換を断行した。井上は対外準備の補充や財政金融引締めのデフレ政策を推進し、30年1月に金解禁を実施した。しかし、解禁を見越して輸出代金回収を早め、輸入代金支払いを繰り延べる、いわゆるリーズ・アンド・ラグズleads and lagsを伴う国際収支の好調と為替相場の上昇は、解禁後一転して逆調となった。緊縮財政と農業恐慌とが重なって未曽有(みぞう)の不況となり、ルンペン時代を現出した。恐慌の深刻さは、29年を100%とした30、31年の経済諸指標の萎縮(いしゅく)にはっきり現れている。国民所得は81%、77%に減少、卸売物価は83%、70%に下落、米価は両年63%に暴落、輸出品の二本柱の綿糸は66%、56%、生糸は66%、45%に大暴落している。輸出は68%、53%、輸入も70%、60%への激減であった。会社の減資解散が激増し、生産制限、共同販売、合理化が広がり、企業連合(カルテル)、企業合同(トラスト)の結成が進んだ。したがって、雇用は減り、実質賃金水準は下がり、労働争議が激増した。30年には、温情主義経営を誇った鐘紡(かねぼう)にも大争議がおこり、東京市電、市バスのストで市民の足が麻痺(まひ)した。30年の失業者は250万余と推定されている。生糸の暴落は養蚕農家を打ちのめしたが、30年の大豊作、31年の凶作による農産物価格の下落、収入の減少は、零細経営の自作・小作農家に破滅的な打撃となった。東北地方では飢餓水準の窮乏に陥った。雑穀はもとより、野草で飢えをしのぐありさまで、娘の身売りが盛んに行われ、農村の小学校教員の給料不払いが続出した。「キャベツは50個でやっと敷島(しきしま)(刻みたばこ)一つ、蕪(かぶ)は百把なければバット(巻きたばこ)一つ買えません。これでは肥料代を差引き一体何が残りますか」(埼玉県北足立(あだち)郡の農民の陳情)という状況であった。農工価格差(シェーレ)は、租税負担の加重と相まって、農民の窮迫を強め、農家総負債額は約49億円、1戸当り827円に上った。
 政府は農民への低利資金の融通や米、生糸の市価維持対策をとったが、緊縮財政の枠のなかではまったく不十分にしか行えなかった。工業面では、1930年6月に臨時産業合理局を設け、31年4月に工業組合法、重要産業統制法を制定して、輸出中小企業を中心とした合理化やカルテルの結成を促進した。しかし、大恐慌の荒波のなかに船出した金解禁・緊縮政策は、31年9月のイギリスの金本位制離脱と満州事変勃発(ぼっぱつ)で暗礁に乗り上げ、大量のドル買い(資本逃避)を誘発した。同年12月には第二次若槻(わかつき)礼次郎内閣が瓦解し犬養毅(いぬかいつよし)政友会内閣が成立すると、ただちに再禁止となり、金本位制復帰はわずか2年の短命に終わった。この2年間の深刻な産業および農業恐慌は社会的危機を激化し、浜口、井上、団琢磨(だんたくま)らを襲った右翼テロとなって暴発し、戦争とファシズムへの道を準備する結果となった。[長 幸男]
『長幸男著『昭和恐慌』(岩波新書)』

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