湧別(読み)ゆうべつ

改訂新版 世界大百科事典 「湧別」の意味・わかりやすい解説

湧別[町] (ゆうべつ)

北海道北東部,オホーツク海に面する網走支庁紋別郡の町。2009年10月旧湧別町が上湧別(かみゆうべつ)町と合併して成立した。人口1万0041(2010)。

湧別町西部の旧町。網走支庁紋別郡所属。人口5841(2005)。湧別川の下流域を占める。北見山地を下る湧別川が扇状地性沖積低地をつくっており,ここを中心に農耕地が開けている。1897年屯田兵村の入植によって開拓が始まり,農業と林産をおもな産業としてきた。1920年代以降水田が広く開かれたほか,北限のリンゴ栽培地として知られたが,現在は水稲栽培は事実上なくなり,リンゴ栽培も大きな発展はない。畑作テンサイタマネギ,ジャガイモ,アスパラガスを主とし,酪農がのび,乳業木材などの工場がある。
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湧別町の北部・東部の旧町。網走支庁紋別郡所属。人口4917(2005)。地名はアイヌ語に由来する。町域は北見山地北東麓に位置し,北西部には湧別川河口の平地が広がり,東はサロマ湖西部を含む。中心市街は湧別川河口に発達し,南方を国道238号線が通る。1897年隣の上湧別へ屯田兵が入植し,そのころ農業団体も入植して開拓が進んだ。また湧別川河口の船着場は名寄線開通(現在は廃線)までは紋別郡東部の交通の要地で,明治末期から大正期にかけて北見地方のハッカの出荷地としてにぎわった。水田稲作が行われてきたが,第2次大戦後,酪農に転換し,のち乳牛約1万5000頭(1990)を飼育する酪農が主産業となっている。マス,ケガニ漁獲し,サロマ湖でホタテガイの養殖が行われる。サロマ湖は網走国定公園に含まれ,西端のサンゴ岬はアッケシソウ(サンゴソウ)の群落で知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「湧別」の意味・わかりやすい解説

湧別(町)
ゆうべつ

北海道東部、オホーツク総合振興局管内の町。1953年(昭和28)町制施行、2009年(平成21)、上湧別町(かみゆうべつちょう)と合併し、新しい湧別町となる。町名の由来はアイヌ語ユウペッ(湯の川の意)、ユベ(サメの意)などの説がある。オホーツク海に面し、北見山地北東麓(ろく)と海岸平野からなり、国道238号、242号が通じる。国鉄湧網線(ゆうもうせん)が通ったが1987年廃止、JR名寄本線(なよろほんせん)は1989年(平成1)廃止、バス転換。湧別川河口の港は鉄道開通までは紋別郡東部一帯の要地で、明治末から大正期にかけてハッカ取引に重要な地位を占めた。昭和初めには大規模な造田が進められたが、現在はサトウダイコン(テンサイ)、小麦、アスパラガスなどの寒冷地畑作と多頭飼育による大型酪農が行われる。沿岸漁業のほかサロマ湖ではカキ・ホタテガイ養殖が行われる。サロマ湖西岸にアッケシソウ(サンゴソウ)群落(道指定天然記念物)やサギ沼原生花園、龍宮台展望台があり、町域西部のシブノツナイには擦文(さつもん)期を主とする竪穴(たてあな)住居跡(道指定史跡)がある。サロマ湖は網走国定公園域。面積505.79平方キロメートル(一部境界未定)、人口8270(2020)。

[岡本次郎]

『『湧別町百年史』(1983・湧別町)』


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百科事典マイペディア 「湧別」の意味・わかりやすい解説

湧別[町]【ゆうべつ】

北海道紋別郡の町。オホーツク海とサロマ湖に臨み,ホタテ,カキ,エビの漁獲があり,酪農が盛ん。テンサイ,小麦,アスパラガスも産する。2009年10月紋別郡上湧別町と合併。505.79km2。1万41人(2010)。

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