生葉庄(読み)いくはのしよう

日本歴史地名大系 「生葉庄」の解説

生葉庄
いくはのしよう

浮羽町北部から吉井よしい町東部に比定される。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に「生葉庄八百町」とある。なお延喜五年観世音寺資財帳に「生葉庄 有生葉郡」がみえ、観世音寺(現太宰府市)領で草屋三軒があった。年未詳の室町院領目録(八代恒次氏旧蔵文書/鎌倉遺文二八)によると金剛勝院領の一つとして庄名がみえ、後白河院領の由緒をもつ皇室領庄園であった。寛元二年(一二四四)七月、筑後の御家人吉井四郎長広と同矢部十郎直澄とが、生葉庄内得安名屋敷田畠について互いに当知行を主張して争っているが、幕府両人の主張を不当とし、本所の成敗に付すよう裁決している(「吾妻鏡」同月一六日条)。得安名の所在地は不詳。文永六年(一二六九)八月、室町院は千手供・荒神供の供僧料に生葉庄・讃岐国詫間たくま(現香川県詫間町)の上分米を充てさせ、同時に毎年年貢運送の際、石別二升分を摂津勝尾かつお(現大阪府箕面市)に送付するよう下知している(同月二一日「東市正某奉書」勝尾寺文書/鎌倉遺文一四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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