生野別符(読み)うりゆうのべつぷ

日本歴史地名大系 「生野別符」の解説

生野別符
うりゆうのべつぷ

和名抄」に記載される諸県もろかた瓜生うりゆうの郷の郷名を継承する宮崎郡内に所在した豊前宇佐宮領の庄園。現瓜生野うりゆうの大瀬おおせ町を中心とする一帯に比定される。宇佐大鏡によると面積は起請定田五〇町、長承年間(一一三二―三五)に作成された目録では定田九〇町七段一〇代であった。建久図田帳には一〇〇町と記される。当別符の成立過程はつまびらかでないが、大墓おおつか別符と同様に良賢によって康和元年(一〇九九)に開発され、天治元年(一一二四)から良賢は当別符に居住するに至ったという(小野姓横山一家河崎之系図)。宇佐大鏡によれば、当別符は一一世紀後期から一二世紀前期にかけて在任した大宮司公順の私領とされている。当別符は公順から妻惟宗氏(井手口殿、尼御前)に譲られ、惟宗氏から養孫の公通に譲与された。所当例済物として重色米一〇〇石・軽色布一〇〇疋・田率綿三七両二分(正二五両・口一二両二分)・桑代絹五疋・織布、放生会料として斑幔・筵を宇佐宮に納めている(同書)。また安元二年(一一七六)二月日の二通の八幡宇佐宮符写(奈多八幡縁起私記)によれば、わたり別符とともに六年に一度の宇佐宮行幸会の綾御船水手を、四月一五日までに一人選定し参勤させることを命じられている。また行幸会料足として御服綿一屯・手作布二段・麻布四段・紫五斤・茜五斤・色革六枚・銅二五両・空青三〇両などを前例どおりに宇佐宮に納めることを命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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