用居番所跡(読み)もちいばんしよあと

日本歴史地名大系 「用居番所跡」の解説

用居番所跡
もちいばんしよあと

[現在地名]池川町用居

土居どい川沿いに通る松山街道沿いの用居土居にあった道番所で、番所から国境までは四五町の登り坂であった。元禄地払帳に「拾石 池川儀太夫道番給」とあるが、この地に関所の置かれた時期は不明である。予土往還の要衝で、「土佐州郡志」は「有門柵九十間」と、防備の厳重であったことを記す。

「守関根居」(県立図書館蔵)によれば、明和六年(一七六九)以降隅田氏が番人に任命され以後幕末まで勤めるが、「御堺目村ニ御他邦引合之御用筋不珍、別繁多ニ有之」という番所であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 紙一揆 村民 伊予

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android