日本歴史地名大系 「田中家住宅跡」の解説
田中家住宅跡
たなかけじゆうたくあと
禁裏鋳物師を務めた枚方村田中家の宅跡。江戸時代には金屋と称し、禁裏蔵人所小舎人真継家が統轄する株仲間に属した。真継家の株仲間支配権は、天文年間(一五三二―五五)戦国大名の間を奔走した真継久直の活動を背景に、徳川幕府が公認したものであった。田中家も天文二二年真継久直との接触が知られ、「鋳物師職来由書」が与えられた(「鋳物師持参旧書写」真継文書)。田中家の鋳物師職の起源は和銅年間(七〇八―七一五)と伝え、文久二年(一八六二)の歎願書(田中家文書)によると、天平宝字年間(七五七―七六五)に万年通宝・大平元宝の吹立を命ぜられたという。由緒を立証するため、安政五年(一八五八)真継家に提示された御牒は仁安二年(一一六七)正月・同年一一月・建暦三年(一二一三)一一月・貞応元年(一二二二)五月・天福元年(一二三三)一一月・暦応五年(一三四二)四月のものであった(鋳物師持参旧書写)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報