日本歴史地名大系 「枚方村」の解説 枚方村ひらかたむら 大阪府:枚方市枚方村[現在地名]枚方市枚方元(ひらかたもと)町・枚方上之(ひらかたかみの)町・岡山手(おかやまて)町・岡南(おかみなみ)町・三矢(みつや)町・高塚(たかつか)町洪積層の丘陵台地の先端部分に位置する。茨田(まんだ)郡に属し、北は三矢村・泥町(どろまち)村。「私心記」永禄四年(一五六一)七月一九日条によると、御堂(現願生坊)の庭で寺内衆の踊があり、下町・蔵谷・上町に分れて踊っている。蔵谷は御堂の所在地。百済王氏の後裔を称して豊臣秀吉に属した本多政康が字上の町(現枚方上之町)に枚方城を築き、本拠にしたと伝える(大阪府全志)。同城は大坂夏の陣のとき廃城になったといわれるが、門口という小字があるのみで遺構は残らない。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では三三石、ほかに葭島高二二石余、元文二年(一七三七)の河内国高帳では三七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by