田中松太郎(読み)タナカ マツタロウ

20世紀日本人名事典 「田中松太郎」の解説

田中 松太郎
タナカ マツタロウ

明治〜昭和期の印刷技術家



生年
文久3年8月3日(1863年)

没年
昭和24(1949)年3月10日

出生地
富山県

旧姓(旧名)
飯森

主な受賞名〔年〕
日本印刷学会功労賞〔昭和12年〕,毎日新聞社印刷功労賞〔昭和16年〕

経歴
明治15年上京し、写真業田中家の養子となる。30年牧野伸顕のイタリア公使赴任に随行し、ローマパリ、ドイツの美術館廻りをする。34年ウィーンの写真製版教習所で三色版印刷技術を習得、更にプラハのヘイスラー製版所で研修を受けて37年帰国。39年東京印刷に入社。大正4年半七製版所を創業した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中松太郎」の解説

田中松太郎 たなか-まつたろう

1863-1949 明治-昭和時代前期の印刷技術者。
文久3年8月3日生まれ。越中(富山県)の人で,東京の写真業田中家の養子となる。明治30-37年ヨーロッパをまわり,ウィーンとプラハで三色版印刷技術をまなぶ。東京印刷をへて大正4年半七写真製版印刷所を創設。日本の美術印刷の草分け。昭和24年3月10日死去。87歳。旧姓は飯森。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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