田中稔(読み)タナカ ミノル

20世紀日本人名事典 「田中稔」の解説

田中 稔
タナカ ミノル

昭和期の農業技術者 元・青森県農業試験場長。



生年
明治35(1902)年10月15日

没年
平成5(1993)年6月29日

出生地
東京市本郷区(現・東京都文京区)

出身地
山形県天童市

学歴〔年〕
三重高等農林学校農学科〔昭和2年〕卒

学位〔年〕
農学博士(東北大学)〔昭和36年〕

主な受賞名〔年〕
農業技術協会会長賞〔昭和23年〕「水稲の耐冷品種育成」,河北新報社賞〔昭和23年〕「水稲の耐冷品種の育成」,藍綬褒章〔昭和25年〕「水稲藤坂5号の育成」,農林大臣賞〔昭和25年〕「水稲藤坂5号の育成」,青森県知事賞〔昭和25年〕「水稲藤坂5号の育成」,東北農学賞〔昭和28年〕「輪作に関する研究により」,内閣総理大臣賞〔昭和28年〕,河北文化賞〔昭和29年〕「冷害防止の研究により」,三重大学学長賞〔昭和29年〕「冷害防止の研究により」,日本農学賞〔昭和40年〕「水稲の冷水被害並びに出穂遅延に関する研究」,読売農学賞〔昭和40年〕「水稲の冷水被害ならびに出穂遅延障害に関する研究業績」,東奥賞〔昭和61年〕

経歴
昭和2年人口食糧問題調査会(内閣)、4年秋田県農業試験場技手、10年青森県農業試験場藤坂支場勤務、27年青森県農業試験場長を経て、45〜54年青森県農林部顧問を務めた。この間、稲の生育を記録し、品種改良を重ねて耐冷多収の水稲品種“藤坂5号”を開発した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中稔」の解説

田中稔 たなか-みのる

1902-1993 昭和時代の農業技術者。
明治35年10月15日生まれ。昭和10年青森県農事試験場藤坂試験地に赴任し,24年冷害やイモチ病につよい水稲の品種「藤坂5号」の育成に成功した。27年県農業試験場長。40年日本農学賞。平成5年6月29日死去。90歳。山形県出身。三重高農卒。著作に「農業近代化の歩み」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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