20世紀日本人名事典 「田中舎身」の解説 田中 舎身タナカ シャシン 明治〜昭和期の仏教運動家 大乗会創立者。 生年文久2年(1862年) 没年昭和9(1934)年9月2日 出生地美濃国本巣郡川崎村(岐阜県) 本名田中 弘之 経歴私塾で国漢、仏教を学ぶ。明治20年逓信省の官吏となったが、間もなく辞し、29年普選問題を中心として幸徳秋水、木下尚江らと行動を共にしたが、のち見解を異にして別れ、衰微した仏教を復興するため仏教会館を設立。36年月刊「東亜の光」を創刊。教師を経て、大正9年大乗会を組織し、会長に就任、仏教の普及に尽力した。このほか東洋大学の騒擾事件、東本願寺の限定相続問題、左翼陣営の反宗教運動との闘争などに折衝、活躍。のち、大日本国粋会顧問、長野県及び岐阜県国粋会長などを務めた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中舎身」の解説 田中舎身 たなか-しゃしん 1863*-1934 明治-昭和時代前期の仏教運動家。文久2年12月3日生まれ。明治33年渡辺雲照らと東亜仏教会を結成,36年月刊誌「東亜の光」を創刊して大乗仏教の普及につとめる。大正9年大乗会を創立,会長となる。昭和9年9月2日死去。73歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。本名は弘之。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by