田中逸平(読み)タナカ イッペイ

20世紀日本人名事典 「田中逸平」の解説

田中 逸平
タナカ イッペイ

大正期の回教帰依者 大東文化学院教授。



生年
明治15(1882)年

没年
昭和9(1934)年9月15日

出生地
東京

別名
号=天鐘道人

学歴〔年〕
台湾協会学校(現・拓殖大学)〔明治35年〕卒

経歴
明治37年日露戦争に際し、陸軍通訳となって特別任務に従った。大正12年アジアの復興を志して中国人回教徒と共に聖地メッカに赴き、日本人としては2人目の回教徒となった。14年帰国し、大東文化学院教授に就任。昭和8年再び聖地巡礼を行い、サウジアラビアのネジド国王とも会見した。著書に「回教及び大亜細亜主義」「高天原雑記」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中逸平」の解説

田中逸平 たなか-いっぺい

1882-1934 大正-昭和時代前期のイスラム教徒
明治15年2月2日生まれ。日露戦争の際陸軍の通訳をつとめる。大正13年イスラム教に帰依(きえ)し,中国人教徒とともにメッカに巡礼。14年大東文化学院教授。昭和9年サウジアラビアのイブン=サウド国王と会見した。昭和9年9月15日死去。53歳。東京出身。台湾協会学校(現拓殖大)卒。号は天鐘道人。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田中逸平の言及

【中東】より

…明治末に日本人として初めてメッカに入った(1909)山岡光太郎は,後に《世界の神秘境アラビア縦断記》(1912)を著した。また大正期には田中逸平がメッカ巡礼を行い(1924),その記録は後に《イスラム巡礼・白雲遊記》(1925)として刊行されている。明治期における日本人ムスリムの出現とメッカ巡礼は,日本におけるイスラム理解を深めたが,同時代に日本キリスト教徒が日本の思想・教育界に与えた影響に比べて,日本人の間でそれほど大きな影響力をもつにはいたらなかった。…

※「田中逸平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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