回教(読み)カイキョウ(その他表記)Huí jiào

デジタル大辞泉 「回教」の意味・読み・例文・類語

かい‐きょう〔クワイケウ〕【回教】

イスラム教。西域居住の回紇ウイグル族を経て中国に伝わったので、この名がある。

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精選版 日本国語大辞典 「回教」の意味・読み・例文・類語

かい‐きょうクヮイケウ【回教】

  1. 〘 名詞 〙 ( 回紇(ウイグル)族を通して中国に伝わり、回回(フイフイ)教と呼ばれたところから ) イスラム教のこと。
    1. [初出の実例]「前に見残したりし回教(クヮイキャウ)(マホメット宗)の巨寺(おほでら)に到り」(出典西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉一〇)

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改訂新版 世界大百科事典 「回教」の意味・わかりやすい解説

回教 (かいきょう)
Huí jiào

イスラムに対する中国の称呼。日本でも用いられた。中国でイスラムを回回教(回教)と呼ぶようになったのは明代(1368-1643)である。その由来は,遼代(10~11世紀)に中央アジア民族を呼ぶ回回という語があり,これは回紇(ウイグル)の語音の転じたもので,回紇が住んでいた中央アジアにイスラム教徒が多かったことによる。元代には回回は広くイスラムを指す語になった。中国の回民回族)はイスラムを伊斯蘭と呼び,その教徒穆斯林ムスリム)と呼ぶ。
イスラム →回族
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「回教」の意味・わかりやすい解説

回教
かいきょう
Hui-jiao

イスラム教のかつての漢名。イスラム教は唐代に中国に伝わったといわれるが,黄巣の乱以後,一時消滅してしまった。宋代になるとサラセン人の南海貿易船が再び中国南部を訪れるようになり,それに伴って回教は復興した。モンゴル人の元朝になると西域のイスラム教徒が大挙して中国に流入するようになり,元朝で重要な地位を占めた者も少くない。特に西域人は雲南広東,杭州,山東北京などに多かった。イスラム教徒は中国では回回,回教人などと称された。回教の回はウイグル人すなわち回 紇,回鶻に由来したといわれる。現在では回教は清真教といわれ,モスクは清真寺もしくは礼拝寺といわれている。回教人は都市,地方を問わず同教徒が集団で居住する共同社会を構成している。中国の回教徒の人口は 500万~1000万と推定されているが,実数は不詳。最も多いのは雲南,山東,広東,河北である。

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旺文社世界史事典 三訂版 「回教」の解説

回教
かいきょう

イスラームの中国名
中国での信徒がウイグル(回紇 (かいこつ) )人であったことに由来。回回 (ふいふい) とも清真教とも呼ばれた。中国には7世紀後半アラビア商人の商業貿易活動に伴って伝来したといわれ,唐・宋には港市にイスラーム礼拝堂(モスク)も建立された。

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普及版 字通 「回教」の読み・字形・画数・意味

【回教】かいきよう

イスラム教。

字通「回」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の回教の言及

【イスラム】より

…イスラムそれ自体が宗教の名であるから,イスラム教と呼ぶ必要はない。かつて欧米ではモハメッド教,マホメット教Mohammedanism,中国で清真教,回回教,回教,日本でも回教と呼ばれたことがあるが,正しい呼称ではないために現在ではほとんど用いられなくなっている。
[拡大するイスラム]
 610年にメッカでムハンマド(日本ではしばしばマホメットと呼ばれる)がイスラムを創唱したとき,その教えを信じてムスリムとなったのは,妻ハディージャ,いとこのアリー,友人アブー・バクルなどわずか数人にすぎなかった。…

※「回教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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