朝日日本歴史人物事典 「田宮如雲」の解説
田宮如雲
生年:文化5.10.23(1808.12.10)
幕末の尾張(名古屋)藩士。通称弥太郎。号は桂園,桂叢。同藩士大塚正甫の次男で,名町奉行田宮半兵衛の養子。天保10(1839)年目付在任中に,高須松平家の秀之助(徳川慶勝)の尾張藩主擁立を目指した金鉄党リーダーとしての活動をとがめられ,中奥小姓に左遷。その後復帰して町奉行。嘉永2(1849)年の慶勝襲封後は勘定奉行,小納戸頭取,用人となり,側近として藩政改革を補佐,慶勝と浮沈を共にした。大政奉還後,朝廷に参与として出仕。京都の市政を司り,甲信鎮撫に率兵。版籍奉還後は名古屋藩大参事となった。明治4(1871)年,転職21回,解職6回,幽閉3回の波乱の人生を閉じる。<参考文献>『名古屋市史』人物編1
(岩下哲典)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報