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田宮如雲 たみや じょうん

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美術人名辞典の解説

田宮如雲

幕末の名古屋藩士。名は篤輝、号は桂園、通称は弥太郎、のち如雲と改める。徳川義勝の側近として藩政改革を補佐した。のち参与・名古屋藩大参事となった。明治4年(1871)歿、64才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田宮如雲 たみや-じょうん

1808-1871 江戸時代後期の武士。
文化5年10月23日生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。尊攘(そんじょう)派の中心として徳川慶勝(よしかつ)を藩主に擁立,慶勝が14代藩主になると,側近として勘定奉行,町奉行,用人などをつとめた。慶応3年参与,明治2年名古屋藩大参事となった。明治4年4月19日死去。64歳。本姓は大塚。名は篤輝(あつてる)。字(あざな)は子志。通称は弥太郎。号は桂園,桂叢。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

田宮如雲

没年:明治4.4.19(1871.6.6)
生年:文化5.10.23(1808.12.10)
幕末の尾張(名古屋)藩士。通称弥太郎。号は桂園,桂叢。同藩士大塚正甫の次男で,名町奉行田宮半兵衛の養子。天保10(1839)年目付在任中に,高須松平家の秀之助(徳川慶勝)の尾張藩主擁立を目指した金鉄党リーダーとしての活動をとがめられ,中奥小姓に左遷。その後復帰して町奉行。嘉永2(1849)年の慶勝襲封後は勘定奉行,小納戸頭取,用人となり,側近として藩政改革を補佐,慶勝と浮沈を共にした。大政奉還後,朝廷に参与として出仕。京都の市政を司り,甲信鎮撫に率兵。版籍奉還後は名古屋藩大参事となった。明治4(1871)年,転職21回,解職6回,幽閉3回の波乱の人生を閉じる。<参考文献>『名古屋市史』人物編1

(岩下哲典)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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