田宮煙硝蔵跡(読み)たみやえんしようぐらあと

日本歴史地名大系 「田宮煙硝蔵跡」の解説

田宮煙硝蔵跡
たみやえんしようぐらあと

[現在地名]徳島市南田宮二丁目

田宮地区の南東端、新町しんまち川と田宮川の合流点北側の三角地帯にある。田宮御薬蔵ともよばれた。寛永元年(一六二四)一宮いちのみや村にあった煙硝蔵が焼失し、その後田宮の渡辺七右衛門の別荘跡地へと移された(阿淡年表秘録)。この地は川に隔てられ、周囲を竹藪に囲まれていたという。万治二年(一六五九)には手狭になった田宮煙硝蔵の移転が計画された。その一件を記した名東郡田宮村三谷下津浦焔硝御蔵被仰付候一件書類(蜂須賀家文書)によれば五月三日付の覚には普請役数三四五人ほどで、御薬はたき役目はこのほかであると記される。五月から八月のやりとりではたき屋敷を田宮に程近い三谷(眉山北麓)下津浦しもつうら(眉山南麓)、さらに田宮村内の別の地を候補地とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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