下津浦
しもつうら
[現在地名]下津町下津
下津湾の湾頭から南岸の地を占め、北岸の方村と相対する。「続風土記」に「湊にして舟繋りよし」とあるが、湾の北側の金山崎と下津浦の西端観音崎とが湾口を扼し「湊口狭きを以て南風には入船し難く大崎に入るの便なるにしかす」とある。下津の地名は東隣の上村に対するもので、もとはその間に中村があったと「続風土記」の下村の条にみえる。集落は湾頭に突出した外瀬山を境に、東側の脇浦(脇ノ浜)・神田(新田)と、西側の外瀬・西ノ浦に分れ、西ノ浦が本郷であった。永仁六年(一二九八)一一月一九日の浜中南庄惣田数注進状写(又続宝簡集)に「二反 下津浦堂免」とあるように、中世は浜中庄に含まれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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