田島窪村(読み)たじまくぼむら

日本歴史地名大系 「田島窪村」の解説

田島窪村
たじまくぼむら

[現在地名]坂井町田島窪

田島村の東、田島川の右岸にある小村正保元禄・天保などの郷帳では田島窪とあるが、「国乗遺聞」や村方の史料などには里久保さとくぼとするものもある。

村名は正保郷帳にみえるのが早く、田方二〇一石余・畠方一二二石余。これより先、慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では長畝下のうねしも郷に属していたと思われる。寛永元年(一六二四)以降丸岡藩領で、元文六年(一七四一)の御領分村名附(遠藤家文書)によれば、女形谷おながたに(現丸岡町)の組頭高桑甚兵衛の支配下にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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