日本歴史地名大系 「田手村」の解説
田手村
たでむら
[現在地名]三田川町大字田手字田手・田手宿 ・吉野 ヶ里
長崎街道の田手宿を中心に発展。
武雄鍋島家文書に、
<資料は省略されています>
とあり、神埼庄内の係争地の沙汰を「田手後藤又二郎」らに命じている。
中世にはこの地にある
近世の村高は一千四〇〇石余で現三田川町域で最高である(肥前国佐嘉領村々目録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長崎街道の田手宿を中心に発展。
武雄鍋島家文書に、
とあり、神埼庄内の係争地の沙汰を「田手後藤又二郎」らに命じている。
中世にはこの地にある
近世の村高は一千四〇〇石余で現三田川町域で最高である(肥前国佐嘉領村々目録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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