田村彩天(読み)タムラ サイテン

20世紀日本人名事典 「田村彩天」の解説

田村 彩天
タムラ サイテン

大正・昭和期の日本画家



生年
明治22(1889)年10月

没年
昭和8(1933)年10月10日

出生地
石川県金沢市

本名
田村 外喜雄

旧姓(旧名)
福島

学歴〔年〕
東京美術学校日本画科〔明治45年〕卒

経歴
寺崎広業に師事する。大正9年第2回帝展に「春日午後」で初入選、以後帝展に「暮春の雨」「斑鳩の春」で入選、14年第6回に「夢殿」で特選となり、昭和2年第8回でも「鳳池春宵」で再び特選となる。また大正15年第1回聖徳太子奉讃美術展に「報春麗雨」、昭和5年第2回に「鳥の駒」を無鑑査出品する。4年帝展推薦となり、審査員も務めたが、6年第12回帝展の「鵜飼」が最後となった。この間、日本画会を創立するなど画壇に寄与するところが多かった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村彩天」の解説

田村彩天 たむら-さいてん

1889-1933 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治22年10月生まれ。寺崎広業(こうぎょう)にまなぶ。大正9年帝展に初入選,14年「夢殿」,昭和2年「鳳池春宵」が特選。のち帝展審査員。昭和8年9月10日死去。45歳。石川県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は外喜雄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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