夢殿(読み)ユメドノ

百科事典マイペディアの解説

夢殿【ゆめどの】

法隆寺東院の正堂で八角円堂。伽藍(がらん)創立時の創建で,しばしば修理され1230年大修理があったが,屋上の宝珠露盤などに天平の面影を残す。聖徳太子が《法華義疏》等の作成中,夢に金人(きんじん)が現れて教示を受けたという伝説から,斑鳩(いかるが)宮の太子の居室の跡と伝えるこの堂に夢殿の名がついた。
→関連項目斑鳩宮

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世界大百科事典 第2版の解説

ゆめどの【夢殿】

法隆寺東院の中心にある堂。東院伽藍は聖徳太子の斑鳩宮(いかるがのみや)のあった所で,太子一族滅亡の後荒廃していたのを,738年(天平10)ころ行信が造営した。夢殿の名は,斑鳩宮に同名の建物があり,聖徳太子が時々その中にこもり政事や仏教に思いをめぐらせたが,そのとき金人(仏像)が現れて妙義を告げたという伝説にもとづく。太子等身と伝える救世(ぐぜ)観音を祀る。夢殿は八角円堂で,この形式は現存遺構は少ないが鎮魂の堂の役割をもつ例が多い。

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大辞林 第三版の解説

ゆめどの【夢殿】

奈良県斑鳩いかるが町の法隆寺東院にある八角堂。739年行信によって造営され、奈良時代の建築様式を伝える。救世ぐぜ観音像を安置している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

夢殿
ゆめどの

奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある法隆寺東院の正堂。八角円堂。国宝。本尊は救世観音(ぐぜかんのん)。夢殿の呼称は、聖徳太子が経疏(きょうしょ)執筆中に疑問を生じて持仏堂に籠(こも)ると、夢に金人(きんじん)が現れて疑義を解いたとの伝承による。[編集部]

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精選版 日本国語大辞典の解説

ゆめ‐どの【夢殿】

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある法隆寺の東院の正堂。天平一一年(七三九)の創建。二重の基壇の上にたつ八角円堂で、本尊の観音菩薩立像(救世観音)は聖徳太子の身長をうつしたと伝えられる。ともに国宝。
※蔭凉軒日録‐寛正六年(1465)正月二〇日「太子夢殿之事被尋下、仍問于瑞渓和尚。即記而被之」

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世界大百科事典内の夢殿の言及

【救世観音】より

…この名称は経典には説かれていないので,観音としては正統的な尊像ではない。作例としては法隆寺夢殿の本尊で,聖徳太子等身の御影と伝える観音菩薩立像が著名であるが,大阪四天王寺や京都三千院の菩薩半跏像もこの名で呼ばれており,形像は一致していない。名称の由来は《法華経》観世音菩薩普門品の中の〈観音妙智力 能救世間苦〉という表現にあると考えられており,平安時代に盛んとなる法華経信仰と,さらに聖徳太子の伝説によって,この尊名が生まれたと推測されている。…

【寺院建築】より

…唐から律を伝えた鑑真の唐招提寺は私寺ながら4町の寺地を有し,当時の金堂,講堂を存している。また聖徳太子をまつる法隆寺東院が発願され,中心に八角円堂の夢殿を置いて塔廟を表現した。法隆寺には大講堂,経蔵,鐘楼,東西僧房,食堂等,古代寺院の各種建物をよく残している。…

【法隆寺】より

…南都七大寺あるいは十五大寺の一つに数えられた。伽藍は西院と,夢殿を中心とする東院の二つに区画される。
【歴史】
 創建については正史に明記がないが,《日本書紀》には606年(推古14)7月斑鳩寺に水田100町を施入したとある。…

【夢】より

…神牀に座すとは天皇自ら沐浴斎戒して寝ることを意味しており,それは夢(神託)を得るための祭式的行為でもあった。この神牀こそは後に述べる夢殿(八角堂)の原型であったのではないかと思われる。 法隆寺の夢殿については,古い伝承を示すものとして《上宮聖徳太子伝補闕記》や《聖徳太子伝暦》に太子が夢占いをするために夢殿に入ったという話が残されており,夢殿とは夢を見る殿であったことはまちがいない。…

※「夢殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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