斑鳩(読み)イカルガ

デジタル大辞泉 「斑鳩」の意味・読み・例文・類語

いかるが【斑鳩】

奈良県北西部、生駒郡の地名。かつてイカルが群居していたという。法隆寺中宮寺法輪寺などがあり、仏教の中心地であった。
イカルの別名。 夏》「豆粟に来て―や隣畑/青々

いかる【斑鳩/×鵤】

アトリ科の鳥。全長23センチくらい。体は灰色で、頭・風切り羽・尾羽は紺色くちばしは太く黄色。木の実を食べる。さえずりは「お菊二十四」などと聞きなされ、「月日星つきひほし」とも聞こえるところから三光鳥ともいう。東アジアに分布。まめまわし。いかるが。 夏》「―来て起きよ佳き日ぞと鳴きにけり/秋桜子
[補説]「鵤」は国字

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精選版 日本国語大辞典 「斑鳩」の意味・読み・例文・類語

いかるが【斑鳩・鵤】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙いかる(斑鳩)《 季語・秋 》
    1. [初出の実例]「中つ枝に 伊加流我(イカルガ)掛け 下枝(しづえ)に ひめを掛け 汝(な)が母を 取らくを知らに 汝が父を 取らくを知らに いそばひをるよ 伊可流我(イカルガ)とひめと」(出典:万葉集(8C後)一三・三二三九)
  2. [ 2 ] 奈良県生駒郡の地名。古代この地方に斑鳩(いかる)が群居したことに由来して命名された。法隆寺(斑鳩寺)、中宮寺、法輪寺、三室山、龍田川など史跡、名勝が多い。

はん‐きゅう‥キウ【斑鳩】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 鳥、斑鳩(いかる)のこと。〔元和本下学集(1617)〕
  3. 鳥「しらこばと(白子鳩)」の漢名。
    1. [初出の実例]「野馬吹相息、斑鳩咲共嬌」(出典:菅家文草(900頃)四・北溟章)

いかる【斑鳩・鵤】

  1. 〘 名詞 〙 アトリ科の鳥。全長約二三センチメートル。体は灰色、頭、翼、尾は光沢のある黒色。くちばしは太い円錐形で黄色。東アジアの特産種で、日本各地の低山帯にすみ、主食は木の実。鳴き声が月日星(つきひほし)ときこえることから三光鳥ともいう。あさなきどり。まめまわし。まめころがし。いかるが。まめうまし。じゅずかけ。《 季語・夏‐秋 》〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「斑鳩」の意味・わかりやすい解説

斑鳩[町] (いかるが)

奈良県北西部,生駒郡の町。1947年に竜田町,法隆寺村,富郷村が合体して改称。人口2万7734(2010)。奈良盆地の中西部から矢田丘陵の南半部を占める。町名は聖徳太子によって造営された斑鳩宮に由来する。町の中央部に位置する法隆寺は,現存する世界最古の木造建築として有名で,日本の古代美術の宝庫である。付近には弥勒菩薩で知られる中宮寺,その北東方には三重塔の美しい法起寺や法輪寺,西方には紅葉の美しさを古歌にうたわれた竜田川や三室山があって古くから〈斑鳩の里〉として親しまれ,観光客が多い。JR関西本線が通じ,国道25号線沿いには電気機器関係などの工場が立地し,宅地化も徐々に進みつつある。なお,竜田地区はかつてこの地域の商業の中心として栄えたが,今は小規模な街村にすぎない。
執筆者:

矢田丘陵南東麓,富雄川右岸の斑鳩の地が,クローズアップされてくるのは,601年(推古9)2月,聖徳太子が斑鳩宮の造営を開始したときからである。聖徳太子は,605年10月に斑鳩宮に移り,621年2月に斑鳩宮で没した。643年(皇極2),上宮王家は蘇我入鹿によって滅ぼされ,その際,斑鳩宮も焼失した。1939年,東院伽藍(夢殿を中心とする地域)の修理に際し,舎利殿,絵殿,伝法堂の地下調査が行われ,斑鳩宮のものと考えられる掘立柱穴が確認された。また,82年には,斑鳩宮の南限を示す大溝が検出された。聖徳太子は,斑鳩宮にいたとき,法隆寺を建立している。すなわち,747年(天平19)の《法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳》によれば,607年(推古15)に法隆寺が完成した。また,金堂の薬師如来光背銘はいろいろ問題を含むものであるが,同年に,用明天皇の遺命に従い,推古女帝とともに,この薬師像を造ったことになっている。この法隆寺は,いわゆる若草伽藍であり,669年(天智8)もしくは翌年に焼亡した。普門院の裏に,若草伽藍の塔の心礎が残っている。また,1982年秋の発掘調査で,若草伽藍の北限を囲む柵列が検出された。壬申の乱後,天武朝に入って,若草伽藍西側の丘陵を利用して,西院伽藍(現在の法隆寺)の造営が開始され,711年(和銅4)ころには,主要な堂塔がほぼ完成した。斑鳩の地には,このほか,いくつかの宮や寺院が存在した。《大安寺伽藍縁起資財帳》にみえる聖徳太子の飽波(葦垣)宮,法起寺塔露盤銘にみえる山背大兄王の山本宮(岡本宮とも),聖徳太子の母である穴穂部間人皇女の宮(中宮と称された)等があり,寺院としては,法輪寺,法起寺,中宮寺などがある。斑鳩地域には,3種以上の地割痕跡があり,数度にわたり整地・開発の進められたことがうかがえる。斑鳩と飛鳥を結ぶ古道に太子道(筋違(すじかい)道)があり,斑鳩からは竜田越を利用できた。また,大和川にも近く,大和川水運を利用できる,水陸交通の要衝であった。こうした地理的条件が,7世紀に,斑鳩を飛鳥とならぶ文化の中心地としたのであろう。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「斑鳩」の意味・わかりやすい解説

斑鳩(町)
いかるが

奈良県北西部、生駒(いこま)郡にある町。1947年(昭和22)竜田(たつた)町、法隆寺村、富郷(とみさと)村が合併して成立。町名は、聖徳太子がいまの法隆寺夢殿あたりに造営した斑鳩宮(鵤宮)跡に由来する。町域は奈良盆地北西部から矢田丘陵南斜面に及び、町の南部にJR関西本線(大和路(やまとじ)線)、国道25号、168号が通じる。また西名阪自動車道法隆寺インター(河合(かわい)町)にも近い。水田耕作とナシ、ブドウ、カキ、イチゴなど果樹園芸の近郊農業が盛んであるが、誘致による工場が国道沿いに進出し、ベアリング用ゴムシールなどの生産が行われている。竜田は古くから商業の中心地で、鉄道の敷設に反対したため一時衰えたが、自動車交通の発達によって回復した。

 町のほぼ中央部にある法隆寺は、飛鳥(あすか)時代の建築彫刻の粋を集めた世界最古の木造建築物として名高く、周辺のもの静かな雰囲気と相まって古代文化の余香をいまに伝える。そのほか中宮寺、法起(ほっき)寺、法輪寺など聖徳太子ゆかりの古寺や三井(みい)(古井の遺構)、三井瓦窯(がよう)跡、藤ノ木古墳をはじめとする古墳群などの史跡が多い。1993年(平成5)には法隆寺地域の仏教建造物が世界遺産(文化遺産)に登録された。また、『小倉(おぐら)百人一首』で知られる紅葉(もみじ)の名所三室山(みむろやま)、竜田川があり、竜田大橋付近の楓葉(ふうよう)は秋に多くの人々を楽しませる。県立竜田公園もある。面積14.27平方キロメートル、人口2万7587(2020)。

[菊地一郎]

『『斑鳩町史』全3巻(1963~1979・斑鳩町)』


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日本歴史地名大系 「斑鳩」の解説

斑鳩
いかるが

法隆寺とう院を中心とする地域の総称。鵤とも書く。明治二二年(一八八九)以後の法隆寺ほうりゆうじ村・富郷とみさと村の地域で、矢田やた丘陵東南麓、富雄とみお川右岸にあたる。平群へぐり夜摩やま郷の地。

斑鳩の地名の初見は、「日本書紀」用明天皇元年正月条に「其の一を厩戸皇子と曰す。是の皇子、初め上宮に居しき。

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百科事典マイペディア 「斑鳩」の意味・わかりやすい解説

斑鳩[町]【いかるが】

奈良県北西部,生駒(いこま)郡の町。町名は斑鳩宮にちなむ。法隆寺(世界遺産),中宮寺(世界遺産),法起(ほっき)寺(世界遺産),法輪寺(世界遺産)があり,紅葉の名所竜田川が流れ,斑鳩の里の名で親しまれている。ナシ,ブドウ,イチゴの栽培が盛ん。関西本線が通じる。14.27km2。2万7734人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の斑鳩の言及

【飛鳥美術】より

…《日本書紀》によれば595年,高句麗から慧慈,百済から慧聡が来朝し,翌年の竣工とともに同寺止住の僧侶となり,ここにはじめて仏法僧が備わった法興寺が出現したのである。
[斑鳩移宮]
 598年になると,高句麗は隋の遼西地方に侵入し,隋は敗北した。600年新羅は任那に侵入し,日本も新羅に派兵するという緊迫した情勢の下に,日本は遣隋使を派遣する(《隋書》倭国伝)。…

※「斑鳩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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