日本歴史地名大系 「田立山」の解説 田立山ただちやま 長野県:木曾郡南木曾町田立村田立山[現在地名]南木曾町田立田立の下切(しもきり)地籍で合流する坪(つぼ)川の上流一帯を占める現田立国有林を「田立山」とよんでいたもので、美林地帯をなし、木曾の山林の沿革についてまとめた明治一三年(一八八〇)の「木曾沿革史」には「天正十年田立村ニ於キテ伊勢両宮造営ノ材ヲ出タセリ今其ノ山ヲ伊勢木屋山ト云フ」とある。江戸時代初期の寛永二一年(一六四四)には上松の小川(あげまつのおがわ)や野尻の阿寺沢(のじりのあてらざわ)などの美林地帯一四ヵ所から、土居・榑の採取を禁じ保護を加えているが、田立山がそのうちに加えられており、更に寛文五年(一六六五)には、住民の立入りを厳禁した留山(とめやま)として田立山がまっ先に指定されている(「万留書」木曾教育会蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by